皆さんこんにちは。塾長の米井(こめい)です。
これはどこにでもありそうだけど、ちょっとしたことで世界が変わる、そんなお話です。
「まちがいの多い子」
夕方、教室の片隅で、小学三年の颯太がノートをにらんでいた。
「また全部バツだね」
思わず出た言葉だった。
つい、口から出た言葉に、自分で少しだけ嫌気がさした。
今日で三日連続。計算ミス、符号ミス、見落とし。どれも「直せばできる」類のものばかりだ。
「ちゃんと見直しなさいって言ったよね?」
颯太はうなずいた。でも、目はノートから離れない。
「やったよ」
「やってこれ?」
つい、強くなる。正しいことを言っている自覚があるから、余計に。
しばらく沈黙が落ちた。
「先生」
ぽつりと、颯太が言った。
「ぼく、見直しってよく分かんない」
思わず手が止まる。
「…どういうこと?」
「見直しって、どこ見ればいいの?」
一瞬、言葉に詰まった。
“全部に決まってるでしょ”
そう言いかけて、飲み込んだ。
そのとき、隣の席の女の子がくすっと笑った。
「颯太、いつも“間違ってるところ”探してるよね」
「うん」
「それじゃ見つかんないよ」
「え?」
「“合ってるところ”見たらいいんだよ」
空気が変わった。
「どういう意味?」
「合ってるところと同じやり方で、次もやればいいでしょ」
颯太はノートを見直し始めた。
「あ…ここ、途中まで合ってる」
「でしょ」
「でも最後でミスってる」
「じゃあそこだけ見ればいいじゃん」
そのやり取りを見て、胸の奥がざわついた。
“正しい指導”をしているつもりだった。
でも、自分はずっと「間違いを探させていた」。
その日の帰り道、ふと思い出した。
朝、家でのこと。
娘が牛乳をこぼした。
慌ただしい朝、つい強い口調で言ってしまった。
「ちゃんと持ってって言ったでしょ!」
娘は黙って拭いていた。
そのときは“正しいことを言った”と思っていた。
翌日。
颯太が教室に入ってきた。
「先生!」
「どうしたの?」
「見直し、ちょっと分かった」
そう言って見せてきたノートは、昨日とは違っていた。
全部正解ではない。
でも、途中式が明らかに整理されている。
「どうやったの?」
「まず合ってるとこ探して、そこから真似した」
少し得意げに笑う。
「あと」
「ん?」
「“ここまではできてる”って言ってくれたから、なんかやりやすかった」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
自分はそんなことを言った覚えがない。
その日の授業後、例の女の子がぽつりと言った。
「先生、昨日言ってましたよ」
「え?」
「“ここまではできてる”って」
記憶をたどる。
ああ、あれか。
無意識に出た一言だった。
“全部バツだね”のあとに、
“でもここまでは合ってる”と、たしかに言った。
ほんの一瞬の、つなぎの言葉のつもりだった。
帰宅後。
娘がまた牛乳を持っていた。
一瞬、昨日の光景がよぎる。
手がすべった。
牛乳が、こぼれた。
娘は、びくっとしてこちらを見た。
少しだけ、間が空いた。
昨日なら、すぐに言葉が出ていた。
「だから言ったでしょ」
でも今日は、違った。
「…持ててたよ、さっきまで」
娘がきょとんとする。
「ちゃんと持ててたよ。途中まで」
少し間があって、娘が小さく笑った。
「うん」
「じゃあ、次は最後までいけるかな」
「うん!」
嬉しそうに、雑巾を取りに行く。
ふと、思った。
“正しさ”は、間違いを正す。
でも“優しさ”は、できているところを見つける。
そして人は、
「直されたこと」よりも
「認められたこと」を頼りに前に進む。
翌日、教室で颯太が言った。
「先生」
「ん?」
「ぼく、まちがい多いけどさ」
「うん」
「ちょっと好きかも」
「なんで?」
「だって、どこ直したらいいか分かるから」
その言葉に、思わず笑った。
“正しさ”だけで見ていたら、
この言葉は出てこなかっただろう。
気づけば、教室の空気も少し変わっていた。
間違いを隠す子が減っていた。
見せる子が増えていた。
正しいことを言うのは、簡単だ。
でもそれだけでは、人は動かない。
ほんの少しの優しさが、
「やらされる勉強」を
「自分で進む勉強」に変えていく。
そしてたぶん、子育ても同じだ。
正しさは道を示す。
優しさは、歩く力をくれる。
どちらも必要だけれど、
順番を間違えると、うまくいかない。
その日、颯太のノートの端に、小さく書いてあった。
「ここまではできてる」
誰に言われたのでもない、
自分への言葉だった。
それを見たとき、やっと分かった。
優しさって、教えるものじゃない。
うつるものなんだ。
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